2009.01.17.
感覚と反応
タブレットPCを持っていて良かったと思えるソフトに出会いました。
「Crayon Physics Deluxe」です。
ふだんちゃんとゲームをプレイしている人から見れば、ゲーマーでもない僕がゲームの事を語るのは片腹痛い事と思います。
でもビデオゲーム黎明期に思春期を迎えた経験を持つ以上、僕なりのゲーム観と言う物があるのは仕方ない事なのです。
そして、こう言うゲームこそが、僕がプレイしたくなるゲームなのです。
一般的にゲームと言えば、答を見つけたり他人と争って勝ったりと言う目的があります。
ビデオゲームにおいても、そう言った目的があれば楽しみ方にぐっと深みが出ます。
しかし本質的にはビデオゲームは、「反応」を楽しむ物だと思っています。
だから僕のゲーム観からすると、ビデオゲームは「反応する」と言う部分において進化すべきなのです。
プロセッサのパフォーマンスやメモリ容量をなぜそんなにグラフィックにつぎ込むのか、と思ってしまう訳です(理由はその方が売れるからなのですが)。
元始、ビデオゲームの面白さは「画面内の物を操作できる」と言う事でした。
デザイナーは「何を操作させるか」「いかに思い通りに操作させるか」を考えてデザインしていました。
「このように反応する事を期待して操作したら、その通りに反応した」と言う「感覚」が重要だったのです。
だから僕にとっては、自分の感覚で思い通りに操作できて、その結果良い成績を残せるゲームが良いゲームなのです。
操作に対する反応が自分の感覚と違っていて、デザイナーが「そんな操作ではだめだよ」と言っているようなゲームには価値が無いのです。
ドラクエが出た頃は、ゲーム内のテキストもパラメタも感覚的な物でした。
今はそれらがすごく意味を持ってしまって、取り扱いに作法があるかのようです。
そうなると、自分の感覚を持ち込む余地が無くなります。
その余地を増やす方向に、ビデオゲームは進化すべきなのです。
ここで問題です。
コモンセンス(常識)に従うと言う事は、感覚的か、感覚的でないか。
* * *
最近観た映画:
「ワールド・オブ・ライズ」(ユナイテッド・シネマ としまえん)
「K-20 怪人二十面相伝」(ユナイテッド・シネマ としまえん)
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