2008.01.15.
自分とは
以前「自分のために生きる」と言う事について書きました。
しかしその時に書いた理屈は、実はちょっとずるいのです。
主題を定義するところに戻っているからです。
デカルトの「我思う、ゆえに我あり」と言う言葉があります。
僕は「すべてを疑う」と言う試行が好きなので、この言葉も好きです。
好きですが、この言葉(或は翻訳)は間違っていると思います。
この言葉も、理屈が主題(の存在)を定義するところに戻っています。
正しくは「思うものが我である」でいいと思います。
「思う」と言う事は、「思っていると知る」と言う事です。
「今日はカレーを食べよう」と思うのと、「今日はカレーを食べようと思っている」と知るのは同時だからです。
誰かが何かを思っていると知るなら、その誰かは自分です。
しかし誰かが何かを思っていると言う事は、100%確かではないでしょう。
ですからその誰かは、何%か自分なのです。
自分とは一個の点ではなく、ぼやけた境界を持つ「範囲」なのです。
逆に誰かが100%他人であると言う事は、その人が何を思っているか分からないと言う事です。
他人の気持ちを知る事は不可能なのです。
誰かが何かを思っていると知れば、その事が自分の行動に影響します。
自分の行動によって誰かが何かを思うと知る事もあります。
その誰かは(何%か)自分です。
以上を踏まえた上で、人は自分のためにしか生きられないと思うのです。
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