2007.06.09.
今の気持ち(別エンディング)
前の記事を更に補完して、自分で読み返した時に理解できるようにしておきます。公開の必要はないのですがアーカイブとして。
「褒められたい」と書いたのは実は言葉としては正しくありません。
正しく書くとエゴむき出しのいやらしい言葉になるので、あえて「褒められたい」としたのです。
「セックスしたい」の事を「愛してる」と言うのと同じです。
正しくは「僕が否定し難いやり方で、僕を僕だと認めて欲しい」となるのですが…。
やはりこの言葉ではいやらしいなぁ。
以下「褒められる’(ダッシュ)」等と記述します。
例。
高校時代、僕は遅刻の常習犯でした。
朝のHRに僕がいなくても、「どうせ遅刻だろう」として欠席扱いにはなりませんでした。
この「どうせ遅刻だろう」は、僕を褒めていませんが、褒めて’います。
閑話休題。
先ほどセックスの例を出しましたが、これには意味があります。
人が生きる理由は二つあって、一つは種の存続、もう一つは「自分であろうとする事」だと思うのです。
さあ話が重くなってきましたよ。
セックスは種の存続のための方法です。
でもそれは僕でなくても出来ます。
何かを10年続けると、大抵褒められます。
でもそれも、僕でなくても出来ると思います。
「自分であろうとするための方法」の現時点での僕の答は、「表現で褒められる’事」です。
前の記事で「生きるために」と書いたのには、そう言う理由があったのです。
なんか変な話になってしまったな。
やはり最初の記事でやめておけば良かったかも知れませんが、まあいいでしょう。そのへんは適当です。
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